どうも、吉です。
今年は、暖冬みたいですね。
冬用タイヤ(スタッドレスという奴です)を持っていない私は、冬の季節は日本海側に行けないのですが、今年は行けました!
絶品海鮮と食べに京都府の舞鶴市です。
そして、もう一つの目的である戦国大名の細川藤孝のちの藤川幽斎ゆかりの田辺城跡に行って来ました。
あ!冬の季節の日本海側は、本来ならば雪が降って大変です。冬用タイヤの装着を、お忘れなく。
今回は、天気予報を確認して大丈夫そうだったから、フルシーズンタイヤで行けましたが。
舞鶴港とれとれセンター
やってきたのは、道の駅『舞鶴港とれとれセンター』です。
入口を入った所に、カニの看板がありました。やはり冬はカニですね。
ここでは、お店で売っている海産物を買って、イートインスペースで食べる事が出来ます!
新鮮な、お刺身や焼きホタテ、牡蠣を買って食べてる人が沢山いました。
もちろん、この時期の海鮮の王様!松葉ガニを食べてる人もいました。
羨ましい〜
とれとれセンターで昼ご飯を食べようか悩みましたが、今回は前々から気になっていた、お店に行きます。
とれとれセンターから、少し歩いた所にある『大六丸(だいろくまる)』さんです。
ここの『海鮮刺身定食』が、評判いいんですよね。
昼過ぎに、お店に到着しましたが、やはり満席でした。まぁ、待ちの人が居なかったので、直ぐに順番が回ってきましたが。
海鮮刺身定食は、『五種盛』と『八種盛』が有りますが『五種盛』は、平日のみです。
海鮮刺身定食の八種盛と焼きホタテを頼んで料理が来るまで店のメニューを見てると。
『焼き松葉ガニ』!
しかし値段が書いてないな・・・
時価なのかな。
値段を聞く勇気も、頼む勇気もありませんので、大人しく刺身定食が来るのを待ちます。
来ました!海鮮刺身定食の八種盛!
お刺身が、山盛りですね。そして、刺身定食に付いている海鮮汁も来ました。
この海鮮汁も評判いいんですよね。
魚やイカ、カニまで入っています。
新鮮なお刺身と海鮮汁・・・最高です。
これで、税込1500円です!お値打ち価格です!
お刺身が、沢山なのでダイエット中にも関わらず、ご飯をおかわりしてしまいました。(ご飯おかわりは、200円増しです)
評判通り、美味しいお店でしたよ。
新鮮な刺身と温かい海鮮汁に満足して、次の目的地に向かいます。
舞鶴公園(田辺城跡)
田辺城は、本能寺の変の時に隠居した細川幽斎が隠居城として築城した城です。
今は、公園&田辺城資料館として整備されています。
正面の門の上に建物が資料館です。
資料館の入口を入ると何故かマンホールが置いてありました。
マンホールマニアの方には、堪らないんでしょうが、生憎マンホールには興味がありません。
何でマンホールが、あるんだろう・・・
と思いながら、館内に入ります。
大きくはありませんが、色々飾ってありました。
火縄銃です。
写真では、判りにくいですがボランティアガイドさんいわく一番上が、大河ドラマの『麒麟がくる』で、明智光秀が堺で手に入れた火縄銃と同じモデルの物らしいです。
甲冑もありました。
胸の少し下に、火縄銃で撃たれた跡があります。
何でも、甲冑は同じ物を二つ作るらしいです。
一つは、お試し用で火縄銃とかで撃たれます。玉が貫通しなかったら合格で、もう一つを殿様用として使用するとの事でした。
うーん、知らなかったです。
あ!そうそう、入って直ぐのところに細川幽斎の銅像がありました。
資料館ですが、珍しく写真撮影が出来るところでしたね。
舞鶴に行く事があれば、一度立ち寄ってみて下さい。舞鶴の歴史が少し判りますよ。
細川 幽斎(藤孝)
細川幽斎(以降は幽斎と記載します)は、戦国大名というよりも文化人の側面が印象的な人物です。
織田信長や豊臣秀吉の小説には、ほぼ登場するので、そこそこ有名です。(脇役としてですが)
明智光秀とも仲が良かったので、2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』でも登場しますね。
元々は、室町幕府の幕臣です。
剣豪将軍と呼ばれた室町幕府第13代将軍の足利義輝に仕えてましたが・・・
足利義輝、三好三人衆に討たれてしまします。
幽斎は、興福寺に幽閉されていた足利義輝の弟、足利義昭を助け出し越前の朝倉家を頼って落ち延びます。
当時の朝倉家当主の朝倉義景に、上洛して三好三人衆を討って欲しいとお願いしますが、巻き込まれたくない朝倉義景は動きません。
仕方がないので、今度は美農を攻略して勢いのある織田信長を頼ります。
この事が、幽斎の運命を変えましたね。
織田信長は、足利義昭を尾張に迎えると直ぐに、足利義昭を奉じて上洛します。
上洛した信長は、京都を占拠していた三好三人衆を追い払い足利義昭を第14代将軍として擁立します。
ここまでは、よかったのですが。。
今度は、信長と義昭が対立してしまいます。
将軍の権威を行使したい義昭と、傀儡として将軍の権威を利用したい信長ですから、対立するのは当たり前ですね。
対立の結果は・・・
明白ですね。実力のある信長が、義昭を京都から追い出します。
その後、信長は別の室町幕府の将軍を擁立しようとしませんでした。
信長にとって室町幕府の権威は、必要無くなったのでしょうね。
この時点で室町幕府は、滅亡したといっていいでしょう。
義昭が、京都を追われた時に、幽斎は付いて行きませんでした。信長を選んだんでしょね。
その後に起こった『本能寺の変』では、盟友と言ってもいい明智光秀の誘いを断り、信長の喪に服し兵を出しませんでした。
山崎の合戦で、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が明智光秀に勝利した後は、秀吉に従います。
秀吉の死後に起こった、天下分け目の合戦『関ヶ原の戦い』では、徳川方に味方します。
感情に流されない冷静さを持っていたんでしょうね。
判断を誤れば、滅亡してしまう時代で、幽斎が築いた細川家は、明治維新まで続きます。
細川幽斎は、文武両道に優れた武将だったのですね。
後書き
今回は、天候に恵まれて冬場なのに暖かい日に舞鶴を観光出来ました。
残念ながら、冬の味覚の王様『松葉ガニ』を食べる事は、出来ませんでしたが、美味しい刺身と海鮮汁を頂く事が出来て満足です。
次回は、松葉ガニを食べれるように、日々頑張ろうと思います。
また来るぜ!舞鶴!