大坂?大阪の間違いかな。
昔は、大坂と呼ばれていたんだよ。
私は、城マニアでもあるので丹波篠山で城巡りです。篠山城に行って来ました!今は、大書院が復元されていて資料館になっています。
駐車場に、愛車である轟号を停めて篠山城に向かいます。少し歩くと大手門に繋がる橋が見えて来ます。
橋の手前にピンポンがありますので、ピンポンを押して城主の松平君を呼びます。すると徳川家の外様大名で城の普請総奉行の池田輝政君が出てきて、城主の松平君の所まで案内してくれます。(冗談です)
・・・
まじめに書きます。。
石垣は、城が作られた当時の物です。篠山城は、戦国時代に戦国大名が作った城ではありません。関ケ原の合戦で西軍(総大将は毛利輝元です)に勝った東軍の総大将である徳川家康が、西国の諸大名に命じて作られた城です。関ケ原に勝って徳川家康は、江戸に幕府を開きましたが大坂には、豊臣秀吉の遺児である豊臣秀頼が健在です。しかも西国には豊臣恩顧の大名(福島正則等)もいますので、江戸幕府を開いても安心出来る状態では無いのです。
〇関ケ原の戦い
日本史上最大の合戦。
慶長5年(1600年)9月に、日本中の大名が東軍と西軍に分かれて美濃国(今の岐阜県)の関ケ原で戦をしました。
東軍の総大将は、豊臣政権の5大老筆頭!関八州の支配者!内大臣!徳川家康!
お味方するのは…お酒大好き!福島正則!、豊臣秀吉の親戚!なぜか東軍!浅野幸長!等
西軍の総大将は、豊臣政権の5大老!西国の雄!三本の矢!毛利輝元 ! !
お味方するのは…毛利家の跡継ぎ!ぼっちゃん! 毛利秀元!、秀吉の秘蔵っ子!備前宰相!宇喜多秀家、憎まれっ子世にはばかる!石田三成!等
世紀の合戦です!!
はい、1日で終わりました。西軍の負けです。時代が流れて、関ケ原の戦いの東軍と西軍の陣形を見たアメリカの将校は、「この戦は西軍が勝ったのでしょう」と言いましたが、西軍の負けでした。
西軍のほとんどの大名は、戦いの前に徳川家康に内通(裏切る事)していたのです。まともに戦ったのは、宇喜多秀家、石田三成、大谷吉継等の大名だけでした。ほぼ総大将の毛利秀元も南宮山に陣を構えただけで動きませんでした。
これでは、勝てるわけがありません。関ケ原の戦いは、戦う前から勝負がついていたのです。
ほぼ、天下人なのに安心出来ないのかな。
家康が生きていたら大丈夫かな。でも歳だからね。自分が亡くなった後の事も考えてたんじゃない。
そこで考えたのが丹波篠山への築城です。大坂の豊臣家と西国との中間地点である丹波地に新しい城を建てようと考えたのです。しかも西国大名に命じてです。城が完成すれば、大坂の豊臣家と西国大名へ睨みを利かす事も出来ますし、築城を命じられた西国大名は自腹で築城を実施するので財力が疲弊します。徳川家康に取っては一石二鳥だったのです。
そして始まった篠山城の築城。縄張奉行は、築城の名人である藤堂高虎(豊臣恩顧の大名のはずですが秀吉の死後、家康に急接近してます)。普請総奉行は、池田輝政(池田家は、元々は織田家の家臣の家柄です)。動員された大名は、西国15か国20諸侯が普請を命じされました。石垣には、普請を命じられた大名が自分とこの石が判るように目印が付けられてます。
そして、突貫工事で1年後には既に出来上げってます。(途中で工期が遅れ気味だったので家康が怒った見たいですね)。天守閣は作られませんでしたが、堀や塀には徹底してこだわりました。家康は、あくまで戦用の城を目指したのです。(まるで戦が起こるのを予想して準備していたかのようです)完成後は、初代城主として家康の実子である「松平康重」が入城します。
流石は徳川家康。。天下の総普請なり。
橋を渡って大手門を通り過ぎると。。。
2000年3月に復元された、大書院があります!中は、資料館になっています。
大書院だけなら入館料は、
大人400円、高校・大学生200円、小・中学生100円です。
ゆっくり篠山の町を観光するなら、色々の施設(歴史美術館・武家屋敷安間家資料館・青山歴史村・篠山城大書院)の入場券がセットになってる4館共通入館券がお得です。
大人600円、高校・大学生300円、小・中学生150円です。
今回は、あまり時間の余裕が無いので大書院だけにしました。( 武家屋敷安間家資料館 も気になったのですが)
中に入って目に入ったのが、甲冑です!!順路も構わず見に行ってしまいました!
色々の戦国武将の甲冑かあります。
おー、右から「六文銭の心意気!真田幸村(信繁)」、「甲斐の虎!武田信玄」、「奥州の雄!独眼竜 伊達政宗」です。
おお!信玄公!一度、甲斐の国に行ってみたい!
他にも「平民太閤!豊臣秀吉」、「豊臣家の忠臣!石田三成」等、戦国武将の甲冑が並んでいます!すごい!
これ、何で出来ているか解ります?特殊な厚紙と塩化ビニールです!丹波篠山市に住む人が作ったのです。もう芸術の域ですね。甲冑マニアの私は感動しましたよ。
その他にも、シアター室で篠山城の歴史が上映されていたり、拝謁の間みたいな所が再現されています。戦国好きの方は、是非一度足を運んでみてはどうでしょうか。
〇大坂夏の陣以降の篠山城
慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で大坂の豊臣家は、滅亡しました。徳川家の江戸幕府は、名実共に盤石となり篠山城は役目を終えました。
江戸の世で、松平家は5代まで城主を務めました。松平家より篠山城を引継いだのは、青山家です。以降、代々青山家(6代も続きます)が城主を務め明治維新に至ります。