明治時代は、皇室の別邸として宮内庁が管理していました。その時の呼称が「二条離宮」です。その後、宮内庁より京都市に下賜されて「恩賜元離宮 二条城」として一般公開されるようになったのです。
御朱印を求めて、二条城に入城
世界遺産です。外国の方も沢山いました。外国に来たのかと思いましたが京都です。
久々の二条城です。なぜか二条城の駐車場が満車だったので、仕方なく近くのコインパーキングを探し、車を停めて二条城に向かいます。
結構、早い時間に着いたのに満車とは珍しいと思いながら二条城に向かうと、なんと2019年10月22日は「即位礼正殿の儀の行われる日」なので無料開放されていました!
なるほど、だから駐車場が早い時間から満車だったんですね。城の中も人が多いです、いつもなら直ぐに入れる二の丸御殿も行列が出来てました。(二の丸御殿も無料開放されてます)
二の丸御殿は前に見ているので、本日の目的である御朱印を頂きに行きます。「城で御朱印?」と思われると思いますが、最近は結構あります。
いざ!御朱印を頂きに大休憩所に!
なんと!普通の御朱印の他に「即位の礼限定の御朱印」がありました!当日限定1,000枚です。当然の事ですが、両方頂きました。
ぐるっと、散策
御朱印も無事頂きましたので、散策しましょう。まずは有名な唐門です。
圧巻ですな、「唐門」は重要文化財です。所々に徳川家の家紋である”三つ葉葵”が彫られています。
昔のテレビ番組で”水戸黄門”と言う時代劇が有りました。主人公は、お爺さんなんですが徳川御三家・常陸水戸藩の第2代藩主である徳川光圀です。
この時代劇の終盤に、悪党達を懲らしめるのですが、最後に「この印籠が目に入らぬか!」と言って”三つ葉葵”の印籠を悪党達に見せてましたね〜
なので、この家紋には見慣れているからか、なぜか親近感があります。徳川家の歴史が好きな事も有りますが。
「唐門」を通り過ぎると「二の丸庭園」があります。
そうなんです。オススメなんです!庭園!御殿や門は、”国宝”や”重要文化財”に指定されています。そして、実は「二の丸庭園」も”特別名勝”に指定されているんです。
「二の丸庭園」を堪能し、東橋を渡り本丸に向かいます。天気も良く気持ちいいです。
「本丸櫓門」通って「本丸御殿」へ!
・・・残念ながら、改修中でした。本丸御殿の改修期間は「2017~2021年度」です。現在、二条城では何回かに分けて順次改修工事を実施しています。
観光予定の方は改修予定を確認しないと、せっかく行ったのに観たい場所が観れないかも知れませんよ。
※改修予定(修理事業)は、二条城のホームページから確認出来ます。当記事の前の方にもホームページへのリンクがあります。
本丸御殿は改修中でいたが、本丸にも見事な庭園があります。(特別名勝ではありませんが。)
本丸庭園で少し休憩した後、「西橋」を渡り「清流園」を通り過ぎて二条城を後にします。あ!二の丸御殿が見えたのでアップしときます。(なんか、雲行きが怪しいな)
二条城と徳川家
二条城は、徳川家と共にありました。慶長6年(西暦1601年)に、徳川家康が西国大名に築城を命じます。
西国には、豊臣恩顧の大名が多かったので豊臣家を滅ぼしたかった家康は、豊臣家と親しい大名の財力を疲弊させたかったのですね。
約2年後の慶長8年( 西暦 1603)年に二条城は完成します。その後、将軍が京都に上洛した際の宿泊所として使用されますが、上洛し二条城に入城したのは、徳川15代の内で5人だけでした。
初代将軍 徳川 家康
2代将軍 徳川 秀忠
3代将軍 徳川 家光
14代将軍 徳川 家茂
15代将軍 徳川 慶喜(徳川最後の将軍です)
そして、最後の将軍である慶喜が二条城で「大政奉還」を宣言し政権を天皇に返上します。徳川幕府が消滅した瞬間です。
徳川家の盛隆と衰退の舞台であった、元離宮「 二条城」歴史好きの人でなくとも一度、訪れてみてはどうでしょうか。
元離宮「二条城」の場所
郵便番号:604-8301
住所 :京都府京都市中央区二条通堀川
西入二条城町541番地
電話番号:075-841-0096
駐車場 :有(乗用車120台)
最寄り駅:京都市営地下鉄
地下鉄東西線「二条城前駅」
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