今回の西国三十三所巡礼の場所は、滋賀県の大津市にある 「三井寺(みいでら)」です。
正式には、
「園城寺(おんじょうじ)」
山号は、
「長等山(ながらさん)」
になります。
天台寺門宗の総本山です。
先日、参拝した「近江神宮」から車で5分(約3キロ)ぐらいの所にあります。
三井寺の歴史
三井寺の歴史は古く、滋賀県に都があった、近江大津京の時代に創建されました。
しかし、大津京は僅か5年で廃都となります。奈良県の飛鳥の地に遷都されます。
都が飛鳥に移り、三井寺も衰退しますが、そこに中興の祖である。
智証大師・円珍(ちしょうだいし・えんちん)
が登場します。
円珍和尚は、三井寺を天台別院とし、復興に尽力します。
皆さんも御存知のお寺である
◯東大寺(とうだいじ)
◯興福寺(こうふくじ)
◯延暦寺(えんりゃくじ)
と並んで、「本朝四箇大寺(しかだいじ)」と呼ばれる様になります。
復興された三井寺ですが、円珍和尚が亡くなると状況が変わります。
天台宗の中で争いが起きてしまいます。
「智証大師・円珍門流」と「慈覚大師・円仁門流」が、対立し円珍門流は、延暦寺を出て三井寺に入ります。
これ以降、天台宗は二分され
延暦寺を「山門」
三井寺を「寺門」
と呼ぶようになります。
その後も延暦寺との対立関係が続き、延暦寺により14回も焼き討ちにあいます。宗派同士の争いは怖いですね。
〇宝徳4年(1452年)建立の仁王門です。
重要文化財に指定されてます 。
その後、延暦寺は、京都に上洛してきた織田信長と対立関係になりますが、三井寺は友好な関係を保ちます。
織田信長の後を継いで、天下人になった豊臣秀吉とも友好な関係を続けますが・・・
突如、秀吉の怒りを買い寺領を没収されていまいます!事実上の廃寺ですね。。
なぜ怒りを買ったのかは、諸説あり真相は不明のままです。
三井寺の再興は、慶長3年(1598年)になります。死期を悟った秀吉が三井寺の再興を許可しました。
延暦寺との闘争や、秀吉の寺領没収など、幾多の廃寺の危機を乗り越えて再興した三井寺は、不死鳥の寺とも呼ばれています。
三井寺の見所は?
三井寺の境内は、かなり広いです。国宝や重要文化財が多数ありますが、今回は三カ所ぐらい紹介したいと思います。(桜が沢山あるみたいなので、春に来ると花見も出来ますね)
■鐘楼(重要文化財です)
近江(今の滋賀県です)八景の「三井の晩鐘」として知られています。
京都市右京区の高雄にある神護寺、宇治市の平等院と共に「日本三銘鐘」に数えられています。
今回は、音色を聞くことが出来ませんでしたが、平成8年に環境省(当時は環境庁)が選定した「日本の残したい音風景百選」にも選ばれています。
■弁慶の引き摺り鐘
この鐘には、色々の伝説があります。
昔、三上山に棲む百足を俵藤太秀郷が退治しました。百足退治のお礼に竜宮から持ち帰った鐘を、三井寺に寄進したと伝えられています。
また、山門(延暦寺)との争いで、山門の僧だった武蔵坊弁慶が奪って比叡山に引き摺って持って帰ろうとした時に「イノー、イノー」(イノーは関西弁で「帰ろう」の意味です)と響いたと云われています。
怒った弁慶は、「三井寺に帰りたいのか!」と鐘を谷底に投げ捨ててしまいます。鐘には、その時に出来たと思われる傷が、今も残っています。
■金堂(国宝)
本尊は、 天智天皇が信仰されていた 「弥勒仏」です。秘仏として静かに祀られています。
金堂自体は、豊臣秀吉の妻「北政所」が、慶長4年(1599年)に再建したものです。
安土桃山時代の名建築物として知られ、国宝に指定されてます。
「長寿そば」レストラン風月
三井寺を拝観し終わって、お腹が減ったので仁王門の近くにある「レストラン風月」で昼ご飯タイムです。
お蕎麦が名物みたいで、「長寿そば」の看板がありました。蕎麦好きの私としては期待が高まります。
お店に入ってすぐの所で、注文するスタイルですね。私は当然、お蕎麦を注文しました!
もう一つの好物である「山芋のとろろ」と、セットになったやつです。
じゃーん!!
お蕎麦も美味しかったですが、お蕎麦を山芋に絡めて食べると・・・
うまし!うまし!
まったりした時間を過ごして、美味しいものを食べて、大満足な1日でした。
寺 名:三井寺(園城寺)
所在地:〒520-0036
滋賀県大津市園城寺寺町