四天王寺を散策
どうも、吉です。
最近、新西国三十三箇所(観音霊場巡りの一つです)を巡ってみようと思い立ち、まずは第1番である大阪市四天王寺区にある『四天王寺』に行って来ました。
四天王寺は、推古天皇の時代に摂政である『聖徳太子』が建立した、日本仏法最初の官寺です。
官寺(かんじ)とは、国家が管理しているお寺になります。
経済的にも援助されています。簡単にいうと国営ですね。
車を南大門横の駐車場に停めて南大門に向かいます。
普通車35台まで停めれます。
【料金】
8:00~22:00
30分 200円
22:00~ 8:00
60分 100円
※大阪市内にしては、
中々リーズナブルな価格設定です。
南大門です。元々は、推古天皇の時代(推古元年)に創建されましたが、残念ながら焼失してしまいました。
現在の南大門は、昭和60年11月に再建されたものです。(写真の奥に写っているのは中門ですね)しかし、天気いいな!
中門に到着です。左右に仁王尊像が祀られているので通称『仁王門』と呼ばれています。
現在の中門は、昭和38年に創建されたものです。門の中央の通り道を阿吽の仁王像が睨んでいます。
向かって右側(東側)が阿像『那羅延金剛力士(ならえんこんごうりきし)』です。
向かって左側(西側)が吽像『密迹金剛力士(みっしゃくこんごうりきし)』です。
金剛力士は、仏教の守護神である天部の一つですね。
日本のお寺の門に祀らている事が多いです。基本は、「阿形」と「吽形」の一対として祀られます。
奈良の東大寺の仁王像に次いで、日本で2番目に大きい仁王尊像です。
ちょっとアート的な写真を斜め後ろから。
さて、中心伽藍に行く前に周りを散策します。
また、ちょっとアート的に撮りました。四天王寺は広いですね。今日は、南大門から極楽門近辺を散策します。本坊と東大門は、また別の機会に散策しようと思います。
中心伽藍の中に五重宝塔が見えますね。四天王寺は、観光客も多いですが地元の人も多いですね。お寺の中を自転車で疾走している人もいました!
極楽門の門前には、屋台も出ています、覗いてみると・・・何と!広島焼が150円!価格破壊もすごいです。
程よく周りを楽しんで、いよいよ中心伽藍です。
金堂と五重宝塔のコラボです。
金堂には、四天王寺の本尊『救世観世音菩薩(ぐぜかんぜおんぼさつ)』が安置されています。
四方は、四天王が守護しています。まあ当然ですが、写真撮影は厳禁です。
素晴らしい像でした。。皆さんに紹介したかったですが仕方ないですね、四天王寺に行って参拝して下さい。
四天王像は、鎧を着た荒々しい武将の感じではないですね、どちらかと云うと僧侶の方が武器を持ってる感じでした。
金堂前の五重宝塔は見事です。元々は、推古元年(593年)の創建です。
しかし、戦火等により焼失を繰り返し昭和34年に鉄筋コンクリートで再建されました。(何と8度目です)
コンクリート製ですが、推古天皇時代の姿を忠実に再現されています。中は階段で上に昇る事が出来ますが、今日は外からの鑑賞です。
なんか写真が上手そうな凄いカメラを持っている人が、撮っていたのと同じアングルで撮影してみました。(私は普通のコンパクトデジタルカメラです)
うーん、このアングルの何がいいんだろう・・・腕の違いとカメラの違いがあるからな、プロっぽい人の写真は実はすごい写真が撮れているのかも。。(カメラに凄いレンズが付いていたからな)
中心伽藍にある講堂です。当然ですが、内陣(内部)は写真撮影厳禁です。
講堂の内陣は、中央を境に分かれていて『東側を冬堂 』『西側を夏堂 』 と呼びます。
冬堂には、『十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)』が祀らています。
夏堂には、『阿弥陀如来(あみだにょらい)』が祀らています。
どちらも素晴らしいです。是非一度、参拝してみて下さい。
聖徳太子とは?
若い方は、ご存知ないでしょうが昔の1万円札(日本初の1万円です)に描かれていました。
聖徳太子(しゅとくたいし「574年2月2日~622年4月8日)は、厩戸皇子(うまやどのおうじ)・厩戸王(うまやとおう)とも呼ばれています。
第31代・用明天皇の第2皇子です。
第33代・推古天皇(日本初の女性天皇です)の元で、蘇我馬子(そがのうまこ)と共に政治を行っていました。
政治家としての能力は素晴らしく内政・外政ともに歴史に残る偉業を達成しています。
内政では、隋(今の中国)の文化や制度を参考にして、『冠位十二階』や『十七条憲法』などを定めて天皇や皇族を中心とした中央集権型の国家の確立に力を尽くしました。
外政では、遣隋使(けんずいし)を派遣し隋の進んだ文化や技術を学びました。
優れた政治家なんですか、信じられないエピソード(飛翔伝説等)も残っていて実は存在しなかったのではないかという人もいます。
諸国から献上された数百匹の馬の中から1匹の神馬を見抜きます。
聖徳太子が試乗すると、神馬は天高く舞い上がり富士山を超えて信濃国まで飛んで行き3日後に都に戻ったと云われています。
うーん、実際はどうなんでしょうね。
守護神・四天王とは?
四天王は、帝釈天(たいしゃくてん)の配下の仏教世界の守護神で天部に属しています。
それぞれ、各方位の守っています。
- 東方守護 持国天(じこくてん)
- 南方守護 増長天(ぞうちょうてん)
- 西方守護 広目天(こうもくてん)
- 北方守護 多聞天(たもんてん)
四天王は、優秀な人を表現する時に使われたりしますね。例えば、戦国時代を制し江戸幕府を開いた徳川家康の有名な武将は『徳川四天王』と云われています。
東方の守護神『持国天』
持国天(じこくてん)は、お寺の本尊の右手前に安置されます。
持国天の梵語名(ドリタラーシュトラ)は『国を支えるもの』の意味を持ちます。
南方の守護神『増長天』
増長天(ぞうじょうてん)は、お寺の本尊の左手前に安置されます。
増長天の梵語名(ビルーダカ)は、『発芽し始めた穀物』の意味を持ちます。
西方の守護神『広目天』
広目天(こうもくてん)は、お寺の本尊の左後方に安置されます。
広目天の 梵語名(ヴィルーパークシャ)は、『異なった目を持つ』の意味を持ちます。 千里眼を持ちこの世を観察し仏教の教えを信じる人を守ります。
北方の守護神『多聞天』
多聞天(たもんてん)は、お寺の本尊の右後方に安置されます。
多聞天の 梵語名(ビャイシュラバァナ)は、『あまねく一切を聴く』の意味を持ちます。
またの名を、『毘沙門天(びしゃもんてん)』です。こちらの名前の方がご存知の方が多いと思います。七福神の1神でもあり、独尊で信仰されています。
『戦の神』であり『財宝・蓄財の神』でもあります。戦国武最強と云われる上杉謙信が崇拝していたことも有名です。
後書き
四天王寺は、観光地でもありますが地元の人の憩いの場所なんですね。
地元の方が、のんびりしていました。