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開運・厄除の岩清水八幡宮、主祭神の応神天皇とは?

京都府の八幡市に、岩清水八幡宮は鎮座されています。

どうも、吉です。

令和元年に引き続き、令和二年も参拝に行きました。

まだ、1月中旬なので初詣の方もいるのかな、沢山の人が参拝に来られていました。

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岩清水八幡宮に電車で行く場合は、京阪電車の「石清水八幡宮駅」を下車してケーブルカーに乗り、男山山頂の本殿を目指します。(歩いて目指す事も出来ます)

しかし、私はいつものように車で山頂まで行き山頂駐車場に車を停めます!

この時期は、参拝者が多く駐車場も、かなり混んでいましたが、駐車場のエリアが拡張されていましたので、なんとか駐車する事が出来ました。

車を降りて本殿に向かう途中に軽食を食べれるお店があります。(駐車場に隣接しています)

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確か「厄除うどん」がオススメメニューだったと思ったのでですが「男山からあげ」なるものが、名物になってました。

うーん、昔からあったかどうか覚えて無いですが、味自慢だそうです。

寒かったので、一緒に行った相方は「しょうが入りの甘酒(420円)」を飲んで暖まってました。

他の人が頼んでるのを見ていると、「甘酒」と「ぜんざい」の確率が高いです。まぁ寒いからね。

本殿に参拝し、相方が御朱印を頂くのを待っている間、ぶらぶらしていると、何となく八幡宮の主祭神「応神天皇(おうじんてんのう)」の事が気になりました。

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なので、応神天皇について調べてみたのですが・・・

実在する・しないから始まり諸説色々です。

実在する派を中心に調べると。

「仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)」の第4皇子で、母親は「神功皇后(じんぐうこうごう)」です。

71歳の時に即位し、大和朝廷の第15代天皇になります。

在位期間は、応神元年〜応神41年迄の約41年間です。

応神天皇が即位する迄の間は、母親である神功皇后が、摂政として祭り事を行なっていました。

71歳から111歳で崩御される迄の間、祭り事を行なっていました。

現在でも71歳は、高齢の方ですが、そこから111歳まで、祭り事をされるとは凄いです。(あくまで一説です)

では、なぜ「応神天皇」が八幡宮の主祭神になったのかと云うと。

実は、経緯はよく判っていないんです。

応神天皇が、仁徳天皇の皇統(男系は断絶)と継体天皇(現在まで続いています)の祖先なので、皇祖神となったみたいですが、八幡大神(やはたおおかみ)と習合される経緯は、不明なのです。

ともあれ、海外文化を取り入れ国の発展に尽力されました。

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実際に、応神天皇が即位された5世紀前半は、日本が飛躍的に発展した時期でもあります。

応神天皇といえば、2019年に世界遺産に登録された「百舌鳥・古市古墳群(もず・ふるいちこふんぐん)」の中に応神天皇の古墳も含まれています。

大阪府の羽曳野市にある

「応神天皇陵古墳(おうじんてんのうりょうこふん)」です。

古市古墳エリアにある、日本第2位の前方後円墳です。

因みに、日本最大の前方後円墳は、百舌鳥古墳エリアの大阪府堺市にある、

応神天皇の息子である「仁徳天皇(にんとくてんのう)」の「仁徳天皇陵古墳」です。

日本第2位の前方後円墳を作るぐらいなので、かなりの実力者だったと思います。

結局、応神天皇が八幡大神になった経緯は判りませんでした。

しかし、皇祖神として敬われたという事までは判りました。

謎が多い応神天皇ですが、続きは次回に。(何か年末の特番みたいな終わり方で、すいません。)

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