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皇室ゆかりの名刹です。旧嵯峨御所・大覚寺へ

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どうも~吉です。暑い日が続きますが、皆さんどうお過ごしですか?

エアコンの効いた部屋で、ゴロゴロするのがベストですが、折角のお休みなので京都の嵯峨野にある真言宗大覚寺派の総本山「大覚寺(だいかくじ)」に行って来ました。(熱中症対策は、ばっちりです)

大覚寺は、平安時代に建立されたお寺ですが、元々は嵯峨天皇の離宮でした。

嵯峨天皇と檀林皇后のご成婚時に新居として、嵯峨天皇が愛した嵯峨野の地に離宮を建てたのが、大覚寺の前身の「離宮・嵯峨院」です。

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その後、皇孫の「恒貞親王(つねさだしんのう)」を開山として「大覚寺」を開創したんですね。

なので大覚寺には、皇室ゆかりの建物が数多くあります。皇族や公家が住職を務めるいわゆる門跡寺院ですね。

大覚寺ですが、大きく「お堂エリア」と「大沢池エリア」に分かれます。

暑さが厳しいので、体力の事を考えると拝観は「お堂エリア」のみにしようと思います。(年々体力が無くなっていく気がする)

参拝口を通って、まずは宸殿(しんでん)に向かいます。宸殿は、東福門院の宮殿を移築した物と伝えられているそうです。

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宸殿の正面の庭には、御所の名残り(御所の紫宸殿の前庭に植えられていた)である「右近の橘」と「左近の梅」がありました。

宸殿から心経前殿(しんぎょうぜんでん)に向かう廊下は、「村雨の廊下(むらさめのろうか)」と呼ばれています。

天井が低く作られているのは、刀や槍を振り上げる事が出来ないようにする為です。

床も鶯(うぐいす)張りになっています。通ると音がなる廊下ですね~

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心経前殿は、大正14年に建てられた比較的新しい建造物です。

大正天皇が即位された時に建てられた、饗宴殿(きょうえんでん)を式後に賜って移築したものです。

色々な寺院やお城に行きますが、結構他の場所から移築した建造物が多いような気がします。

心経前殿の北側には、大正14年に再建された、「勅封心経殿(ちょくふうしんぎょうでん」が有ります。

奈良・法隆寺の夢殿を模して再建されました。中には、「薬師如来」が祀られています。

また、嵯峨天皇をはじめ下記の天皇の「宸翰(しんかん)勅封般若心経」が奉安されています。

  • 嵯峨天皇
  • 後光厳天皇
  • 後花園天皇
  • 後奈良天皇
  • 正親町天皇
  • 光格天皇
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心経前殿から本堂の「五大堂(ごだいどう)」に向かうまでにある「安井堂(やすいどう)」は、明治4年に京都の東山にあった「安井門跡・蓮華光院(れんげこういん)」の「御影堂」を移築したものです。内々陣の天井には、見事な「雲竜図」が描かれています。

色々見どころが満載な大覚寺ですが、いよいよ本堂である「五大堂(ごだいどう)」に向かいます。

現在の五大堂は、江戸時代中期に創建されました。中には不動明王を中心とした五大明王(金剛夜叉明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王)が祀られています。

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大覚寺は、弘法大師(空海)が自ら祈祷した「日本最初の五大明王祈祷御所」だそうです。

平安時代の仏師である「明円」作の五大明王像は、霊宝館に安置されています。

現在、五大堂に安置されている五大明王像は、京都の大仏師「松久朋琳」と人間国宝「松久宗琳」作です。どちらも重要文化財に指定されています。

うーん、いいですね、仏像・・・

見事な五大明王像でした。

そろそろ暑さの為に、体力が限界に近づいてきました・・・今回はこの辺で帰る事にします。

あ!そうです!五大堂から「大沢池エリア」が見えました。少し涼しくなってから再訪ですね。

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