京都の名刹!瀧安寺!
どうも、吉です。
今回は、石庭で有名な龍安寺に行ってきました。山号は『大雲山(だいうんざん)』です。
この場所は、元々は公家の名門(清華家)徳大寺家の別荘がありましたが、室町幕府の管領である『細川勝元』が譲り受けて龍安寺を創建しました。開山は、『義天玄承(ぎてんげんしょう)』 です。
有名な石庭を観に来ましたが、ちょっと意外な事に紅葉が見事でした。
うーん、12月も中旬ですので、紅葉は期待していなかったのですが『方丈』に行くまでの道沿いが綺麗に紅葉してました。
紅葉が観れて嬉しかったのですが、やはり今年は暖冬なんですね。温暖化の影響かどうかを考えると複雑な気持ちになります。
まあ、気持ちを切り替えて今回の目的である『石庭』がある『方丈』へ向かいます。
山門の入口で、拝観料を支払った時に頂いた拝観券を『方丈』の入口で渡すと中に入る事が出来ます。案内図も頂けます。結構、外国人の方が多いですね。
有名な、枯山水の代表格『龍安寺の石庭』です。特別名勝に指定されています!
1975年に来日した、イギリスのエリザベス女王が絶賛した事で世界的に有名になりました。だから外国人(多分ヨーロッパ系)が多いのか~と思いつつ石庭を眺めます。
禅(龍安寺は、禅寺です)の境地と程遠い私ですが、何となく『いい庭だな~ 』と思いつつ方丈を後にしました。
創建当時の龍安寺の寺地は、現在よりも広大だったのですが『応仁の乱』により焼失してしまいます。
その後、勝元の息子である政元が1499年に再興しますが、1797年に火災で主要伽藍である『方丈』や『仏殿』が焼失してしまいます。
今の方丈は、『塔頭の西源院方丈』を移築したものです。現在の西源院は、龍安寺の名物である『湯豆腐』を食べる事が出来るお店になってます。知らなかった・・・知っていれば昼ご飯を『びっくりドンキー』で食べなかったのに!(ドンキーのハンバーグは美味しかったですが)
御朱印も頂きました
管領『細川勝元』とは
細川勝元(ほそかわかつもと)は、室町時代の守護大名です。
ただの守護大名ではありません!丹波国、摂津国を始め四国(土佐国を除く)の5カ国の守護を任された大名です。
しかも役職が凄いです。室町幕府の第16・18・21代の管領職に就いていました。
この頃は、将軍職の足利家は有名無実だったので管領職が幕府の実権を握っていましたね。
そのまま、悠々自適の管領職に就いていたらよかったのですが、ライバルの山名宗全(やまなそうぜん)が気になります。宗全とは、親戚関係にはあるんですがね。
そして遂に、「応仁の乱」が勃発します。東軍の総大将が細川勝元、西軍の総大将が山名宗全です。
「応仁の乱」は、複雑です。将軍家の跡目争いから各大名家の跡目相続が絡み合ってます。短期決戦にはならずに、長期戦になったのも複雑さに拍車を掛けた一因でもありますね。
「応仁の乱」は全国に拡大していきましたが、当事者の勝元は陣没してしまします。それでも乱は続きました。そして下克上の「戦国時代」が始まります。
しかし、「応仁の乱」の本当の勝者は誰なんでしょうね。全国を巻き込んだ割には最後が、よく判らない乱です。
最後に
令和元年も残すは、半月です。今年も色々な寺社に行きましたが、最後は『龍安寺』で締めですね。
有名な『龍安寺の石庭』以外にも、紅葉を楽しめましたので満足です。西源院の湯豆腐は、次回の楽しみに置いておきましょう。
細川勝元が創建した『龍安寺』、観光客も程々で中々良かったですよ。