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学問の神様「菅原道真」を祀る、日本で2番目に古い天満宮、上宮天満宮。

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どうも〜吉です。

皆さんも、よくご存知の天満宮、御祭神は、「菅原道真(すがわらのみちざね)」ですね。

菅原道真は、学問の神様として有名です。なので、受験生には絶大な人気があります!

天満宮で、有名な所では、

京都の「北野天満宮」や福岡の「太宰府天満宮」ですよね。

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でもね、大阪府の高槻市にある天満宮は、何と日本で2番目に古い天満宮なんです。

その名も
「上宮天満宮(じょうぐうてんまんぐう)」
です。

JR高槻駅を北出口から出ると、上宮天満宮が見えます。駅から近いです。

北出口から歩いて数分すると、大きな石の鳥居が見えて来ます。

大きな鳥居を通り過ぎて、少し歩くと上宮天満宮の参道です。

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上宮天満宮は、「天神山(てんじんやま)」の山陵に鎮座されています。

なので、「ニの鳥居」からは、結構な階段を登って参拝する事になります。(さっきの石の鳥居は、一の鳥居です)

御祭神の「菅原道真」ですが、平安時代の文人(学者でもあります)です。

道真は、学問の才能だけでなく政治の才能もあり、朝廷内で順調に出世していきます。

しかし、出世し過ぎましたね。右大臣まで出世した道真を妬む者が現れます。

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藤原一族で、当時の左大臣「藤原時平(ふじわらのときひら)」達です。

藤原時平達の策略により、道真は遠く福岡の太宰府に左遷されてしまうのです。

まあ、平安時代は藤原一族が力を持っていたので、彼らに睨まれたら、あっという間に失脚してしまうのです。

怖い世の中ですね。

道真は、京都に戻りたかったでしようね。

しかし、戻る事が許されず無念の思いを持ったまま、太宰府で亡くなってしまいます。

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道真の死後、京都で異変が起こります。

道真を左遷した首謀者の「藤原時平」が39歳の若さで病没します。時平以外ても藤原一族から病没する人が出ます。

また、朝儀中(今で言う国会ですね)の清涼殿に落雷が落ち、大納言の藤原清貫をはじめ多数の死傷者が出ました。

これを目撃していた「醍醐天皇(だいごてんのう)」も体調を崩してしまい、数ヶ月後に崩御されます。

京都の人々は、この一連の出来事を「菅原道真」の怨霊が起こしているのだと信じます。

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朝廷は、道真の怨霊を鎮めるために、947年に「菅原道真」を北野社に神として祀りました。今の「北野天満宮」です。

また、九州の福岡にも勅使を派遣します。

天皇の命により、九州の太宰府に向かった勅使が帰路、この地(大阪府の高槻市)で牛車が動かなくなります。

不審に思った勅使が調べたところ・・・

何と!菅原氏の祖先である「野見宿禰(のみのすくね)」のゆかりの地だったのです。

朝廷は、この地に「菅原道真」を祀りました、それが今の「上宮天満宮」です。

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上宮天満宮では、毎年「菅原道真」の命日に「初天神」と言うお祭りがあります。

2月の24と25日です。

高槻市民や近隣の住民が沢山集まり、かなり盛大です!

JR高槻駅の北口から、上宮天満宮までの道路が歩行者天国になり、屋台も沢山出て楽しいのですが・・・

令和2年は、コロナの影響で開催されませんでした。。。

令和3年は、開催されますように。。

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